いま、思っていること

来年、今の職場を離れて沖縄へ移住することが決まった。自分の置かれた環境を変えたいと具体的に考えるようになったのは去年のことで、それまで悶々としていたけれど、ようやく話が具体的な方向へと進んできた。喜ばしいことだ。様々な準備が整い始めると、浮き足立っていた心が徐々に落ち着いてくる。そうなると今度は至らない点や、蓋をしていた箇所が目に入るようになってきて、再び慌ただしい気持ちになってくる。

よくよく考えてみると、今まで本当に落ち着いたことなんてなかったんじゃないかな。常に所在のなさをどこかに抱えていて、時にそれを誤魔化すように大口を叩き、あるいは自分の気持ちに他人の顔してとりすまし、そして大体はなかったことにして何かに逃げていた。そんなやり方が自分の体に染み付いてしまっていた。とても情けなく思う。

それに限界を感じて環境を変えることにしたのだけど、それは問題と――そして自分と――向き合うこととも同義だ。そんなワケで、最近のぼくは問題改善のための第一歩を踏み始め、いささか不安定だ。物事が進めば喜んで、新たな課題に直面してバタバタする。少し体調もおかしい。だけどまあ、これも今まで溜め込んできた種々のツケなのかもしれない。

そんなプラスとマイナスが混じり合ったある種の充実感を覚えていると、時たま視野狭窄に陥っていることに気付く。いつの間にか「沖縄へ移住すること」を目的としている自分が見え隠れするからだ。移住したからといって問題が解決するわけではない。むしろ、移住したあとにどう行動するかが重要なのだ。移住は手段であって目的ではない。たまに湧き上がる不安をノートに吐き出してみると、こういうズレがよく分かる。だから自分で自分にインタビューするような感覚で、出来るだけ客観的にズレを矯正してやる。

このまえ歯医者で歯磨きの指導を受けて、教わった方法で歯を磨くようにしているのだけど、その度に嬉しくなる。なぜなら、こういう日常的で些細なことほど「自分(の生活)を良くしていくぞ!」という気持ちがないと新しい方法が持続しないと思うからだ。だから、歯を磨く度に自分が前を向いていることを確認できるような気がして嬉しくなる。

今の自分を認めることは、過去を許して未来に希望を持つことだと思った。情けない過去も自分を変えるための踏み台になる。そして恐らく、沖縄へ行ったら今より大きな不安に直面することになるはずだ。だけどその不安にこそ希望が隠されているのだと思えば、少しだけ勇気が湧いてくる。そんな気がする。

勘違いでアングラに憧れていた人の話

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今から10年ほど前の話。当時はmixiの全盛期で、日記機能で毎日の出来事をフレンドに向けて書いたり、コミュニティ機能で共通の趣味の人と知り合ったりして、皆お行儀良く、実に平和で、かつ楽しげにサービスを堪能していた。そんなmixiの盛り上がりで日本にもSNSというものが浸透してきたころ、myspaceという黒船が突如やってきた。

上部に自分の写真と音楽プレイヤーが並び、その下にはフレンドの書き込みが並ぶ簡易掲示板。そして勝手にフレンド登録されているオジーとトム*1myspaceでは簡単に自作曲が公開できるうえにユーザー同士のコミュニケーションが容易で、当時の音楽サービスとしては画期的だった。その証拠としてmyspaceアマチュアミュージシャンからそれはもう熱烈に歓迎され、稚拙な楽曲でも再生数は伸び、熱心なコメントもフレンド同士で書き込みあって、慢性的に承認欲求が満たされないミュージシャンという弱い生き物にとって正に天国みたいな場所だった*2

そんな状態だったものだから、myspaceには玉石混淆どころか、海のものとも山のものともつかない変な音楽が氾濫することとなる。天国は魔窟へと変貌してしまったのだが、当事者にとっては素晴らしい場所に違いなかった。そのような場所に紛れ込むと普段接することのない種類の音楽に出会ってしまうもので、そこでぼくはノイズミュージック*3というものを知ってしまったのだ。

「こんな表現があるのか」という驚きとともに「全然意味がわからん」という衝撃。そこで普段Blankey Jet Cityを愛聴していたウブないりあ少年は思ってしまった。「これを理解できないのは自分が未熟だから」だと。

それからはノイズを理解するための努力の日々だった。ぼくはまずノイズを自分でも実践することにした。エレキギターに滅茶苦茶なエフェクトをかけてみたり、マイクの前で奇声を上げたり、部屋で倒れたりした*4。次に生のノイズを体験する必要性を感じて、myspaceで気になったノイズミュージシャンのライブを見に行った。そうして都内のライブハウスへ通うようになり、果てはmyspaceで知り合った相方と高円寺にある無力無善寺*5というカルトの極北みたいなところでイベントを開催するようにまでなってしまった。

そういった生活を続けていく中で、「これを理解できないのは自分が未熟だから」という考えは「これを理解できたら凄いヤツになれる」という思想に変わっていった。いつの間にか自分にとってノイズは人生で目指すべき指針となっていたのだ。無論、理解するために演奏しているのであって、理解できているわけではない。形だけはそれっぽくなってきたが、依然としてぼくはノイズのなんたるかを掴めないままに自分の魂を雑音に込めるという虚構を演じていた。

数年の時が流れ、ぼくは普通のロックバンドをやっていた。相方とは喧嘩別れをしたし、結局ノイズを理解することもできなかった。凄いヤツにぼくはなれなかった。ついでにmyspaceも廃墟になった*6。ノイズと触れ合った日々は、ぼくに何も残さなかった。

そして今、ぼくは音楽自体をやっていない。ノイズを、音楽をやっていた日々を思い返すと、辛かったなって思う。具体的な目標も持たずがむしゃらに突き進むのは自分を傷つける行為でしかない。しかし同時に楽しかったなとも思うのだ。特にノイズをやっていた頃は楽しかった。全く理解できなかったし、なんであんなにムキになっていたのかも今となってはよく分からないけれど、あれはあれで充実していたなって。毎月自主イベントを行って、揃いも揃ってしようもない音楽と人間ばかりが集まった。それが面白かった。

廃墟となったmyspace。かつて新しい時代を夢見たあの場所には、道を踏み外した後悔と、新しい音楽を知った喜びが残っている。そしてノイズにはやっぱり意味わかんねえという想いと、初期衝動の熱がくすぶっている。

はたしてノイズとはなんだったのか?それは音楽とは何かという根源的な問いに近い。絶対の答えは無く、個人個人で解釈は変わるだろう。だからこそ、答えを求め続けることでしか意味を見いだせない。

今でもたまにノイズを聴いて「分かんねえなあ」と思うんだけど、その「分からなさ」が面白かったりする。そう考えると、やっぱり昔の自分も分からないなりに楽しんでたんだなって、迷走しててみっともなかったけど、悪くない青春だったのかなって。今になってそう思うのだ。

おわり

*1:myspaceの代表者。フレンドとして初期登録されている

*2:あのときの活気は今のネットではあまり感じられない独特の熱を帯びていて、新しい時代の幕開けを思わせるには十分だった

*3:文字通りノイズで演奏する音楽のこと。世界的に著名なアーティストが日本には多く、非常階段、ハナタラシMerzbowなどが代表的

*4:倒れるのは大事なことだ

*5:妖怪の集まりみたいなとんでもない場所。出演者よりも店長が怖い。一万円払えば何をしてもいいという敷居の低さがウリ

*6:最近はまた賑わってるらしいけどよく知らない

米津玄師の最新作『BOOTLEG』は傑作なのか?

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はじめに

いつもいつだって米津玄師について語りたい。それくらい米津玄師というミュージシャンが好きだ。そんな気持ちとは裏腹に語るのが億劫というか、そうさせない不可視の力が働いていて、結果的に米津玄師について口を開くことはほとんどない。わたくし程度の矮小な人間がかのような偉大な存在について語るなどはなはだ恐れ多く、まかり間違って語る機会を得ようとも不用意な発言は控えるべきであり、誤解を招く表現は極力避け、ましてや批判などもってのほかである。そんな何に向けてか分からない謎の責任感というか、遠慮というか、まぁそんな感じであの才能の塊を前にして東京の片隅で一人恐縮しきっている。

で、今回はそんな尊敬という名の鬱陶しい気持ちを覚えさせる迷惑なミュージシャンこと、テン年代のカリスマ米津玄師の最新作『BOOTLEG』について書く。なぜ書く気になったかなんてそんなどうでもいい話は隅にやって本題に入っていこうと思うのだけど、この作品を語るには以前の作品についても触れていかないといけない。なのでまずは順を追って書いていくとする。

  • はじめに
  • 米津玄師が『YANKEE』と『Bremen』でしたこと
    • それまでの集大成となった『YANKEE』
    • 「米津玄師らしさ」を捨てた『Bremen』
  • BOOTLEG』で見せた新境地
  • 旅はまだ終わっていない
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タッチの歌詞「星屑ロンリネス」について真剣に考えてみた

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いつも自問自答してて暗いブログになってきたので、たまにはバラエティ色のある記事でも書いてみます。今回はあだち充の『タッチ』について取り上げますが、あまりにも有名な作品なのでネタバレを度外視して書きます。これから読むって人はスルー推薦。

  • はじめに
  • 「星屑ロンリネス」のおさらい
  • 言葉を変えてみる
  • 二番を見てみる
  • 視点を変えてみる
  • 結論
  • おわりに
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独り言には怨念が宿っている

先日、以前から気になっていた女性と食事へ行ったんですよ。彼女とは共通の友人からの紹介で知り合った。話してみると趣味が似ていることもあって、すぐに意気投合。帰り際に連絡先を交換して、奥手なぼくにしては珍しく勇気を出して二人きりでの食事へと誘ったわけです。彼女はとびっきりの美人てわけじゃないんだけど、はにかんだ時の表情がすごくかわいい。一緒に食事をしている時もずっと笑顔でいてくれて、なんていうんだろう、その雰囲気というか、空気感みたいなのがすごくいいなって、そう思うと「好きだなー」って言葉が自然に出てきてしまった。本当に無意識の独り言だったから、言ってしまった後ですごく焦ったのだけど、彼女は笑顔を崩さず、それでいて少しだけ恥ずかしそうに「……わたしも」って言ってくれたんですよね。

まぁ全部ウソなんですけどね。書いていて死にたくなってきたんだけど、この気持ちをどうすればいいのだろうか。気になってる女性どころか女性の知り合いがいない。世の人間の半分は女性のはずなのにどうしてだろうね?

そんなぼくの女性関係についてはさておき、独り言ってヤバイと思うんですよ。ヤバイじゃ分からないか。独り言ってガチでパネェと思うんです。もっと分からなくなってしまった。とりあえず『キテる』ってことだ。わかれ。

独り言が激しい人っているじゃないですか。いつもなんかブツブツ言ってる人。ぼくの職場にもそういう人がいるんだけど、大体は「はぁ?」とか「わからない……わからない……」とか、もうちょいヒートアップすると「アアアァァ!!」「キィーーーー!」みたいな奇声まで上げだすから本当に怖い。とりあえずイラついているのだけはこれでもかってくらい伝わってくるから、その人が独り言を言い出すと場の空気が一気に悪くなる。

他の同僚と「あの人ってなんであんなに独り言が激しいんだろうね?」みたいな会話は度々あって、なんならたまに笑い話にもしていたのだけど、最近気付いてしまったんですよ。自分がことあるごとに独り言をつぶやいているのに。

かつての自分は間違いなく独り言をしない人間だったはずなのに、いつの間にかそうなっていた。多分ここ1年くらいの話だと思う。これに気がついた時は酷く狼狽してしまったね。「ついに俺も『神に授かりし自動音声(ゴッド・スピード・ユー・ブラック・エンペラー)』の使い手になってしまったか……」と。そんな念能力があるかは知らんが、ともかく、いつの間にかぼくは立派な念能力者もとい独り言プレイヤーになっていた。

ぼくの独り言には定形があって、大体は「だまれ」「うるさい」「きえろ」の3つだ。それらが発動される条件も決まっていて、過去の失敗や恥ずかしい出来事を思い出した瞬間にこれらのワードが自然と口からこぼれ落ちる。それはよく聞かないと分からないくらい小さなささやき声だけど、確実に音声となって出力されている。

過去の出来事は前触れもなく、かつ頻繁にぼくの脳裏へ訪れて、その度にぼくは念能力の使い手となってしまう。その独り言はいずれも自分自身へ、あるいは自分の過去へと向けられた悲痛な叫び声であって、間違っても他人へ向けられたものではない。それでも過去は足音もなく背後から忍び寄ってくるから、楽しい酒の席で唐突に「だまれ」とか言ったりするわけで、これ、聞かれてたら本当にマズイと思うんだよね。そんな自分に気がついてからというものの、独り言をやめねばと心に決めてかかってもぼくの念能力はキルアの疾風迅雷と同じく自動でカウンターしてしまうので、どうにも難しい。

「怒った時に物へ当たるのをやめられない人は、自分が怒るのを無意識で許してしまっている」というのをなんかの本で読んだけれど、独り言についてもこれに近いことが当てはまりそうだ。恐らくぼくは自分の独り言を心のどこかで許容してしまっている。実際に弊害があるわけでもないし、いっかーって思ってしまってる。

そんな中途半端な状態で日常を過ごしていると、ふと気付くわけです。取引先の無茶振りメールを読んだ時に「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな……」と言ってる自分に。これじゃあ同僚と同じじゃないか。このままでは『円』の範囲を徐々に広めて……ハンターネタしつこいからもういいや。

自分の思考を延々と垂れ流している半サトラレ状態の人はさておき、なんらかのストレスが言葉となって表出しているのが独り言なのだと思う。もしかしたらその分ストレス軽減になっているのかもしれないけれど、貧乏ゆすりが激しい人を見ていて気分が悪くなるのと同じで、独り言も見ていて気分が良いものではない。

そう考えると、独り言はいわば怨念と同じだ。独り言が増えた分だけ自分の心は醜くなっていく。

どうせなら綺麗な心でありたいし、他人を嫌な気持ちにさせないよう気をつけたいなと思う。同じヒトリゴトでもぼくの怨念じゃエロマンガ先生の主題歌にはならんのだ。あ~~、紗霧ちゃんとお食事デートしたい。

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