日常にむなしさを感じているなら、それはお前が悪い

はじめに

こんなことしてなにになるんだ。

いや、別にブログのことではない。例えば予定のない休日、せっかく出来た休暇を満喫すべく遊んでみたとする。日頃の鬱憤をマイクに吐き出すべくカラオケへ行き、録り溜めしていたアニメを一気に消化し、近所のファミレスで新作メニューを堪能する。行き当たりばったりにしてはまぁ、悪くない内容じゃないだろうか。だが、遊んでいる間中ずっと頭を離れない言葉がある。それが「こんなことしてなにになるんだ(以下KKNN)」である。

KKNNは恐ろしい。この言葉が浮かんだ途端、どんなに楽しい時間も一瞬で拷問と化してしまうからだ。ひたすら時間をつぶすだけの拷問、それは生きてる意味が分からなくなる程度にはつらい。そんなむなしさに心当たりがある人って結構多いんじゃないだろうか。少なくともぼくは日頃からKKNNに悩まされている。

なぜ人はKKNNってしまうのか。

仕事上がりのオフタイムや貴重な休日、あるいは永遠に終わらない夏休みを虚無で塗りつぶしてしまわぬよう、その傾向と対策について今回は考えてみよう。

 

KKNNとはなにか

そもそも、KKNNとはなんなのだろうか。先述した内容を要約すると「一人でなにかをしている最中にふと虚無感に襲われること」となるが、これはやや偏った見方だ。なぜならぼくは一人じゃなくてもKKNNしてるからだ。更に言うと、なにかする前からKKNNってる場合もある。

ということは、KKNNとは人数にも行動にも左右されない、根本的な思考の偏りであると言える。心のしこり、と形容してもいいだろう。

なぜKKNNは起こるのか

KKNNは「虚無感」や「むなしさ」といった言葉に置き換えられるが、KKNNの本質は「諦め」にあるように思う。虚無とはつまり「価値がないと感じてしまうこと」であるが、そこには「価値などあるわけがない」という決め付けが内在しているのではないか。それは紛れもない諦めのことだ。

つまりぼくは諦めているのである。なにに対して?そりゃ全てだ。

成功することを諦める。
成長することを諦める。
楽しむことを諦める。
認められるのを諦める。
満たされるのを諦める。

これがぼくの実体だ。こんなやつ根暗がうつるから近寄ってほしくないし、言うまでもなく僕は友達が少ない。え?なんだって?

そのような諦めが根幹にあるからこそ、KKNNは起こる。そりゃ始めから期待してなかったら楽しめるものも楽しめないわな。厄介なことにこのような人種は独特の頑なさを持っていて、ちょっと楽しい気持ちになっていても、その気持ちをKKNNで上書きしてしまうのだ。自分が楽しい気持ちになっていいはずがないとか、これは誰かのためであって自分のためではない、みたいな言い訳を常に用意している。そういう人は肝心なときに責任逃れする癖を持っているんだけど、話が逸れるのでここでは深く言及しないでおく。

KKNNしないためには

解決の糸口は常に問題の根幹にある。根幹の定義を覆してしまえば問題は存在しないのだ。

ということはだ。諦めるのを諦めれば解決する話ってことだ。もっと自分に希望を持てと、ポジティブな気持ちであれと。そういう話なんだ。だけど、そんなこと言われても急には直せないのが人間というものでして。代替案というか、もっとライトな策を考えてみることにする。

成果を作り上げる

実は冒頭で書いた例はぼくの休日のテンプレだ。カラオケ行って、アニメ観て、ファミレスにこもる。そうやって大抵の休日を過ごしている。そこに目的はない。しいて言えば時間をつぶすという目的しかない。これは大変消極的な姿勢だ。

KKNNの対策にはなんらかの積極的な行動が求められる。ここでKKNNという言葉の意味を思い出してみよう。KKNNとは「こんなことしてなにになるんだ」という言葉の略称である。であれば、自分の行動になんらかの成果を見いだす、ないし成果を作り出してしまえばいいのではないだろうか。明確な目的を持って行動し、大なり小なり成果となるものを得る。そうすればKKNNは解消されるはずだ。

成果というとなにか凄いことをしないといけないと思ってしまうが、全然大した話ではなくて、例えば今プレイしているゲームをクリアするとか、小説を読み切って感想をブログに書くとか、インスタ映えする写真の撮りかたを模索するとか、その程度でいい。そういった目的があればこそ前向きに行動できるのであって、逆に言えばそういった目的がないからこそ時間をつぶすために何かするという後ろ向きな行動をしてしまう。また、成果は目に見えた方が実感しやすいので、経験や思い出は出来るだけなんらかの形にするのが望ましい。それこそ文章にするとか。

小さな目的と小さな成果を少しずつ蓄えていけば、いずれ大きな目的と大きな成果へ繋がっていく。その頃にはKKNNは跡形もなく消え去ってるはずだ。

なにもしないという選択肢もある

それでもKKNNに襲われてしまうときは、あえてなにもしないという選択肢がある。これはつい先日試してみた方法だが、可能な限り無駄な時間を過ごすという目的をもって休日を過ごした結果、15時間くらい寝てその後ひたすらTVに張り付いていたのだけど、意外にもKKNNは訪れず、むしろ痛快な気持ちさえ抱いた。ざまあみろってほくそ笑んだくらいだ。卑屈なりにも楽しみかたがあると分かって有意義だった。

いやいや、それでもダメだよって人は、自分の気持ちを自分で決められない人なんじゃないかと思う。そのような人は承認欲求が強い傾向にあるので、そこら辺を意識すれば糸口が見つかるんじゃないっすか。がんばれ。

おわりに

こんなことしてなにになるんだ。

そんな気持ちを常に抱いてる時点で人として終わってる。だってつまんないもん、そんなやつ。そんな自分と袂を分かつべく思考をまとめてみたが、お察しの通りこの記事自体がKKNNから逃れるための行動の成果だ。内容の是非はともかく、書いている時間は悪くなかったって、そう思う。

この記事を読んで何か感じるものがあれば幸いです。